(画像はイメージです。本文とは無関係です)
「親家片(おやかた)」が話題になっています。
【親の家(部屋)を片づける】、略して「親片〜OYAKATA」とも表記するようです。
子ども世代からすると
「スペースがあるのに物に埋もれて暮らすのはナンセンス。ケガをしたら大変だし、スッキリした部屋でノビノビと暮らして欲しい。使っていない物をこんなに取っておく意味が分からない」
と考えますし、
親世代からすると
「スッキリした部屋は良いと思うけど、コレ捨てるの? まだ使えるしもったいない。いつか必要になるかもしれないし…」
と意見が対立するのはよく聞くお話しです。
私自身もそうでした。
二度の「親片〜OYAKATA」経験で感じたことを今回は記そうと思います。
実の父親の住まい〜男性1人暮らしの場合
そもそもの「物への執着」度合いの差は同世代でもありますが、物が少ない時代に育った親世代と、物質的に困ったことのない子ども世代では、「物のありがたみ」が全く違うようです。
私は1967年生まれ、親世代が必死で高度成長期を支えてきてくれたお陰で、ひもじい思いをすることもなく、着る物や履く物にも困窮したことはありませんでした。
ただ、おもちゃやゲームなど、何でもすぐに与えられるような暮らしではない、ごくごく庶民的な生活でした。
父親は1937年の生まれで、戦時中は、米が足りなくてジャガイモばかり食べさせられたとのことで、亡くなるまでジャガイモは一切口にしませんでした。
(母は父より少々若く、戦後派だったため、かなり感覚の違いがありました…このあたり、3、4年の差でも微妙です)
父は50代後半で母と離婚することになり、その後亡くなるまで1人暮らしとなりました。仕事をサポートしていた父の妹が比較的近くに住んでいたため、何かと心強い面はありましたが、家の中は年を経るにしたがって荒れていきました。
それは父の年齢と病気によるものでしたが、晩年は一部屋を潰すほど物が溢れた状態。
遠方に住む私はたまにしか訪問することができず、出向いていくと片付けと水回りの掃除に明け暮れて、ゆっくり父と過ごすこともままなりませんでした。
ある時、夫に頼み、6畳の和室のゴミを運び出すことと、大がかりな掃除を決行。その時は父も喜んでくれ、「少しでも親孝行が出来て良かった」と安堵することができました。
夫とお疲れ様のビールを酌み交わした時の父の笑顔は、後にも先にも無いくらい幸せそうなもので、私は夫に感謝するばかりだったのを覚えています。
また物が溜まっている!? 元の木阿弥は辛いけど
数年の時を経て、父が胃ガンの宣告を受けました。
その頃の実家は大掃除を決行する前よりマシな状態でしたが、買い物をした時に貰ってくる箸、スプーン、袋、洗って積み重ねた総菜の容器などが溜まりに溜まっている状態。
「これ、要るの?」と尋ねると「捨てるな。使うから取っておけ」と仏頂面で返されます。
娘「こんなに沢山いつ使うの? 必要な分だけでいいんじゃない?」
父「ダメだ。捨てるな」
娘「この新聞もう一ヶ月も前のだから要らないね」
父「いや、まだ読んでないから置いておけ」
娘「…(いつ読むのよ)」
残り少ない父との貴重な時間がこんな会話に終始したのは、今考えても残念でなりません。自分にもっと忍耐力と優しさがあったなら…と後悔ばかりが募りました。
亡くなってからの片づけ
父の胃ガンは手術を経て再発、入退院を経て病院で息を引き取りました。
遠くに住んでいた私でしたが、たまたま臨終の場に立ち会う事ができ、そのまま葬儀、実家の書類の片づけ、役所等の手続きと慌ただしい時間を過ごすこととなりました。
父は医師に余命を宣告されていましたが、死後のこと、葬儀や遺影やお墓のことについては一切触れませんでした。
さすがに私から聞くのも忍びない…そんな状況でしたし、私も叔母もここ3ヶ月くらいはこのままの状態でもってくれるのかな?」と思っていたのに、突然体力が衰え、最期の瞬間を迎えました。
そんなわけで、準備は何も出来ておらず、葬儀の前に遺影や、棺に入れるお気に入りの品なども慌てて探す必要があったのです。
葬儀後、叔母たちが書類や衣類の片付け(遺品整理)を手伝ってくれて助かりましたが、大切な書類の保管場所はだいたい分かっているものの、大切な物より不要なものの方が多く、それを分別するだけでかなりの時間を要しました。
新品の下着や靴下は息子のいる叔母に引き取って貰ったり、障害者福祉施設で使えるものを問い合わせて引き取って貰ったりして、出来るだけ「ただゴミになる」物を減らす努力はしましたが、部屋にはまだまだ物が溢れていました。
最終的に業者に依頼して実家を空にする
その後、何度か片付けをし、使える家具などはリサイクル業者に引き取ってもらいましたが、不動産業者に買い取りを依頼した関係上、それに合わせて地元の業者に不要品の片付けを頼むことにしました。
事前の説明では「ご家族はどこか別の場所でお休み頂いて、終わる頃に連絡したら来て下さい」とのこと。
家族が見守っていると、懐かしいとかそれは取っておこうかとか、思い出や思い入れが邪魔をして作業が捗らないことがあるそうです。
実際、夕方になっても連絡が無いため様子を見に行ったら、物置に長いこと入っていたらしいバドミントンのラケットや古い電話台などが玄関前に並べられており、それらを目にしただけで、忘れていた思い出が8ミリ映画のように蘇ってきました。
これはいけませんね、確かに。立ち会わなくて正解です。
それぞれの思い出や懐かしい実家の建物に感謝をして、思い切りよく別れを告げました。
生前の片づけ作業は父との数少ない思い出になっている
親が生きている時の片づけと、この世を去ってからの片づけ、どちらも必要でしたが、思い残すことがあるとしたら、親が生きていた時の片づけ作業を、「もっと父との心の交流に当てられていたら良かった…」今はそんな風に思っています。
とはいえ、生前に父と片付けをしたからこそ、「どのあたりに重要な物を保管しているのか」見当が付けられて良かったという面もありました。
亡くなってから葬儀まで時間が少なかったので、徹夜した状態で必要な物を探さなければいけませんでしたから…。
改めて自分の実家の「親片〜OYAKATA」経験を振り返ると、父の最期に立ち会い、父の生前、死後と片付けをしたことで感じた多くのことがありました。
「自分の終活をしっかりやろうと!」という意識が芽生え、これからの日々を心地よく生きるにはどうしたらいいか…と、立ち止まって考える機会にもなりました。
更年期障害の症状を抱えながらの「親片〜OYAKATA」はキツイ面もありましたが、この経験は父が残してくれた財産だったんだと、今は思っています。